時実象平 論文・時評・会談リスト

(早稲田大学佐藤洋氏による) 年譜はこちら

注:時実は、映画評、特にニュース映画評を多く書いている。だが、量が多くなりすぎるので、例外以外は除く。多くは、本人からの聞き取りに基づいた佐藤洋による調査による。誤りは適宜 修正のこと。   

「民族問題に就いて」『校友会雑誌』(第一早稲田高等学院)、28号、1933年8月

「映画に対する一つの態度」『シネ・テアトル』、1935年6月

「映画作家の諸問題」『シネ・テアトル』、1935年12月

「カット・フィルム見学所感」『明大映研クラブ』、1936年5月

「河内山宗俊(山中貞男作品)合評」『映画集団』、1936年6月

「映画作家の諸問題」『シネ・テアトル』、1936年7月

「映画研究の意義について―特に映研に関連して」『シネ・テアトル』、1936年7月

「小津安二郎論」『映画集団』、1936年10月

「「映画批評」時評」『シネ・テアトル』、1936年12月

「山中貞男」『映画集団』、1937年1月

「1936年の日本映画現代劇」『キネマ旬報』(読者寄書欄)、1937年1月

「日本映画の性格に就いて」『日本映画研究』、1937年3月

「「淑女は何を忘れたか」についての感想」『キネマ旬報』(新選読者寄書)、1937年5月

「日本映画時評」『シネ・テアトル』、1937年7月

「日本シナリオ作家研究」『映画集団』、1937年7月

「日本映画をめぐる雑談 北川冬彦・飯田心美・杉本俊一を囲んで」『映画集団』、1937年7月

「「裸の街」研究座談会」『映画集団』、1937年7月

「シナリオ座談会 倉田文人氏をかこんで」『映画集団』、1937年10月

「映画芸術家の協力」『キネマ旬報』(読者寄書欄)、1937年11月

「映画下積み物語り」『日本映画研究』、1937年11月

「映画批評時評」『シネ・テアトル』、1938年1月

「シナリオライタアの現状―1937年の覚え書き」『映画と音楽』、1938年1月

「映画と演劇の座談会」(中途)『映画集団』、1938年1月

「シナリオの構成」『日本映画研究』、1938年2月

「映画的描写にいつて(ママ)」『キネマ旬報』(読者寄書欄)、1938年3月

「日本映画時評」『映画と音楽』、1938年4月

「外国映画時評」『映画と音楽』、1938年7月

「映画批評時評」『シネ・テアトル』、1938年7月

「文化映画短評」『映画界』1938年7月

「座談 トーキー音楽と録音について」『映画と音楽』、1938年8月

「文化映画短評」『映画界』、1938年10月

「映画批評時評」『シネ・テアトル』、1938年12月

「記録映画」『映画界』、1939年1月

「文化映画短評」『映画界』、1939年1月

「編集後記」『国際映画新聞』、1940年9月

「編集後記」『国際映画新聞』、1940年10月

「編集後記」『国際映画新聞』、1940年11月最終号

映画新体制にともなう、雑誌の統廃合が行われる。

「技能審査解説」『映画旬報』、1941年3月

「時事録音 揺ぐ映画業界」『映画旬報』、1941年4月

「事業研究 東宝映画 15年度下半期決算の検討」『映画旬報』、1941年4月

「事業研究 起ち直った日活 資産内容の好転」『映画旬報』、1941年4月

「事業研究 転換期の新興キネマ 直営館拡充と社内機構の刷新」

『映画旬報』、1941年5月

「文化映画プロデューサー座談会」『映画旬報』、1941年5月

「事業研究 好調を辿る松竹 」『映画旬報』、1941年5月

「事業研究 富士写真フィルム」『映画旬報』、1941年7月

「事業研究 再建大都映画」『映画旬報』、1941年7月

「事業研究 東宝映画上半期決算」『映画旬報』、1941年9月

「映画臨戦体制の方向」『映画評論』、1941年10月

「事業研究 新興キネマ決算検討」『映画旬報』、1941年11月

「映画時評 決戦下に発足する映画新機構」『映画評論』、1942年1月

「昭和16年度 業界決算」『映画旬報』、1942年2月

「映画界時評 日本映画界の新課題」『映画評論』、1942年2月

「雪の東北映画界を往く 秋田・山形・福嶋」『映画旬報』、1942年3月

「映画時評 興行の計画化」『映画旬報』、1942年4月

「聖水寺工場巡回映写をみる 満映巡映班に随行して」

『映画旬報』、1942年8月満映特集号

「映画文化はいかに普及されるか」『映画評論』、1942年9月

「満州の映画館」『映画旬報』、1942年10月

「座談会 防諜と映画」『映画旬報』、1942年11月

「文化映画界の新機運」『映画評論』、1943年1月

「業界決算」『映画評論』、1943年2月

「文化映画界時評」『映画評論』、1943年2月

「"撃ちして止まむ"移動映写 福島県下随行記」『映画旬報』、1943年4月

「配給一元化と映画の普及」『映画評論』、1943年5月

「朝鮮の映画館」 『映画旬報』、1943年7月朝鮮映画特集号

敗戦となり、中国から帰国する。

 

「編集後記」『キネマ旬報』、1946年7月

「映画時評」『映画春秋』、1946年11月

「映画界民主化への道」『キネマ旬報』、1947年1月

「映画界の動き 増税と映画観客」『キネマ旬報』、1947年12月

「1947年の記録 進歩か保守か」『キネマ旬報』、1948年2月

「転機に立つ映画産業」『キネマ旬報』、1948年2月

「映画界の動き 街の風景」『キネマ旬報』、1948年3月

「映画界の動き 独占排除以後」『キネマ旬報』、1948年3月

「映画界の動き 俳優の運命」『キネマ旬報』、1948年4月

「映画界の動き 製作費は語る」『キネマ旬報』、1948年6月

「"夜の女たち"を語る」(池田義信、後藤友二、若山一夫との対談)

           『スクリーン・ダイジェスト』、1948年6月20日

「映画界の動き 俳優の運命」『キネマ旬報』、1948年7月

「ルポルタージュ東宝紛争」『芸術』、1948年7月

「映画界の動き 映画を圧迫する偏見」『キネマ旬報』、1948年8月

「映画界の動き 解決はしたけれど」『キネマ旬報』、1948年9月

「ニュース映画批評 製作の条件」『キネマ旬報』、1948年9月

「東宝問題解説 撮影所再開はどうなる ユニットプロ制への動きその他」

『キネマ旬報』、1948年9月

「映画界の動き 大衆娯楽はどうなる」『キネマ旬報』、1948年9月

「映画界の動き ユニットプロ制への機運」『キネマ旬報』、1948年10月

「映画界の動き 映画サークルの話」『キネマ旬報』、1948年10月

「映画の周囲」 『映画季刊』、1948年11月

「討論会 映画復興への胎動」『映画季刊』、1948年11月

「製作システムの確立 独立プロとユニットプロについて」

『キネマ旬報』、1948年12月

「映画界の動き 館主大会と従業員大会」『キネマ旬報』、1948年12月

「映画界の動き 「母と子」をめぐる話題」『キネマ旬報』、1949年1月

「映画界の動き 自由を求める人々」『キネマ旬報』、1949年1月

「混乱と激動の中から 事業界決算」『キネマ旬報』、1949年2月

「日本映画の周囲」『映画季刊』、1949年2月

「討論会 日本映画の伝統」『映画季刊』、1949年2月

「映画界展望 自滅を待つ心」『キネマ旬報』、1949年3月

「映画界展望 日本映画の断面」『キネマ旬報』、1949年4月

「映画界展望 興行談義」『キネマ旬報』、1949年4月

「映画界展望 企業整備と重役整理 東宝は何処へ行く」『キネマ旬報』、1949年5月

「映画界展望 創作意欲と採算意欲」『キネマ旬報』、1949年6月

「映画界展望 二つの指定解除」『キネマ旬報』、1949年7月

「映画界展望 才能以前」『キネマ旬報』、1949年7月

「映画界展望 未完の始末記―作家の良心について」『キネマ旬報』、1949年8月

「映画界展望 スター神聖―スターシステムの弊害をもたらしたもの」

『キネマ旬報』、1949年8月

「映画界展望 ニュース映画によせる」『キネマ旬報』、1949年9月

「対談 「青い山脈」はこうして完成した」『映画評論』、1949年9月

「映画界展望 想い出の日」『キネマ旬報』、1949年9月

「映画界展望 入場税問答」『キネマ旬報』、1949年10月

「旧習と悪弊の打破」『映画評論』、1949年11月

「解説 映画企業の課題 東京映配の誕生をめぐって」『キネマ旬報』、1949年11月

「映画界展望 東宝対新東宝」『キネマ旬報』、1950年1月

「映画界の展望 映画界の新情勢」『キネマ旬報』、1950年1月

「1949年度総決算 表現上の諸問題」『キネマ旬報』、1950年2月

「作家、企業家、スタア」『映画評論』、1950年3月

「ニュース映画批評 今日の問題」『キネマ旬報』、1950年3月

「映画教育 『細菌物語』の意味するもの」『キネマ旬報』、1950年3月

「「暴力の街」合評会」『映画季刊』、1950年4月

「座談会 きけわだつみのこえ」『シネ・フロント』、1950年4月

「日本映画技術の現状について」『映画季刊』、1950年4月

「日本映画の生産過剰とスタア」『悲劇喜劇』、1950年4月

「東宝をめぐる話題」『シネ・フロント』、1950年8月

「座談会 「ベルリン陥落」と芸術記録映画」『ソヴェト映画』、1950年10月

「座談会 芸術記録映画の諸問題」『ソヴェト映画』、1950年11月

「映画雑誌の現状」『映画文化』、1950年11月

「シナリオの独立 ―映画と文学について―」『映画作家』、1951年

「昨年のベストテン」『シネ・フロント』、1951年2月

「外画攻勢と邦画の窮乏」『ソヴェト映画』、1951年6月

「外画攻勢と系統館制」『映写技術レポート』、1951年12月

「試写室 箱根風雲録」『映画新報』、1952年3月

「ひめゆりの塔」『ソヴェト映画』、1953年2月

「月の輪古墳」『映画文化』、1954年8月

「庶民の映画」『国鉄文化』、1955年12月号

「ポートレート 池田義信」『映画評論』、1956年1月

「ベストテン選出をめぐって」、『シナリオの友』、1956年2月

「滅びゆく大草原」『映画評論』、1956年3月

「絵を描く子供たち 雪まつりと子供たち」『映画評論』、1956年4月

「女の足あと」『映画評論』、1956年5月

「夜あけ朝あけ」『映画評論』、1956年6月

「ポートレート 亀井文夫」『映画評論』、1956年10月

「ポートレート 八木保太郎」『映画評論』、1957年4月

「座談会 映画六社を解剖する 田中純一郎・時実象平・鈴木信治郎・南部僑一郎・関忠果」『財界』、1957年6月

「全国映画興行者に訴える1」『キネマ旬報』、1958年4月

「全国映画興行者に訴える2」『キネマ旬報』、1958年4月

「日本の漫画映画理論」『世界映画資料』、1958年4月

「全国映画興行者に訴える3」『キネマ旬報』、1958年5月

「作品評 この目で見たソ連」『記録映画』、1958年6月

「記録映画論について」『世界映画資料』、1958年7月

「転機に立つ映画観客運動と日本映画の現在と将来」

『小田原映画通信』、1958年7月

「総合雑誌の映画論」『世界映画資料』、1958年8月

「記録映画か劇映画か」『世界映画資料』、1958年9月

「映画における表現と非表現」『世界映画資料』、1958年10月

「昔の映画について」『きょうえい』、1958年10月

「モンタージュを解さないモンタージュ否定」『世界映画資料』、1958年11月

「映画評論家のテレビ観」『世界映画資料』、1959年1月

「東映企業論 ―「忠臣蔵」と「ひめゆりの塔」の間」『シナリオ』、1959年2月

「対談 石本統吉 日本の科学映画」『世界映画資料』、1959年2月

「映画コンクールの客観性」『世界映画資料』、1959年2月

「新しい映画批評家」『世界映画資料』、1959年3月

「実情にふれない記録映画論」『世界映画資料』、1959年5月

「激しい反響をよんだ「戦艦ポチョムキン」の上映活動」

『映画教育通信』、1959年6月

「エジプト映画「アルジェリアの娘・ジャミラ」『世界映画資料』、1959年11月

「観客運動と産業論」『世界映画資料』、1959年11月

「リオネットファブリと「オリーブに生きる人々」」『世界映画資料』、1960年2月

「教育映画事業の自立性」『現代通信 月刊解説版』、1960年5月1日

「編集同人一言集」『世界映画資料』、1960年6月

「PR映画の現状と企業広告」『博報堂月報 広告』、1960年10月

「自主上映運動の問題点」『文化評論』、1962年3月

「映画界の不況と観客の立場」『自主上映』、1962年10月

「以外に明るい印象」『太陽とカチンコ 人間』、近代映画協会、1962年11月

「編集後記」『日本の独立プロ 1963』、1963年3月

「映画の自由を求めて―東京自主上映の歩み―」『シネクラブ』、1963年4月

「自主上映・全国の動き」『シネクラブ』、1963年4月

「自主上映の創造的側面」『自主上映』、1963年7月

「川島雄三と私と映画集団」『映像文化』、1963年9月

 

「カルテル」『映像文化』、1964年7月

「「飢餓海峡」と「証人の椅子」」『文化評論』1965年5月

「人民のたたかいと記録映画―「赤旗ニュース」5周年によせて」

 『文化評論』、1966年6月   

「頑張る」      『映像文化』、1967年1月

「地球は燃える 批評」 『映像文化』、1967年3月

「味あり」      『映像文化』、1968年1月

 

「リアリスト作家今井正」 『今井正「全仕事」』、1990年、アリス

「『今村太平映像評論集』全10巻発刊によせて」『ユニ通信』、1992年2月24日

論文:

「映画企業論」 岩崎昶・北川冬彦監修『世界映画の鑑賞』、双龍社、1950年所収

「製作・配給・興行」『マスコミュニケーション講座4』、河出書房、1954年 所収

「プロデユーサー・システム論」『現代映画講座 1』、創元社、1955年所収

「映画企業について」今村太平編『映画を心ざす人に』、社会思想社、1955年所収 

編集(年譜記の雑誌編集をのぞく):

『キネマ旬報別冊 日本映画作品大鑑』(全七巻)、1960−1961年

『伊丹万作全集』(全三巻)、筑摩書房、1961年

『日仏交換映画祭』(全二巻)、フィルムセンター、1962年

『ひとりっ子』パンフレット、1969年

『今村太平映像評論集』(全10巻)、ゆまに書房、1991年(9巻『戦争と映画』解説)

『今村太平の会会報』