パソコン年代記

時実 象一

情報の科学と技術、41(12), 959, 1991

 私が最初にパソコンを手にいれたのは、1980 年の 12 月 14 日で、大枚 53 万円をはたいて買ったのは PC-8001 のセットであった。モノクロ・モニターとエプソンのプリンタがついていた。当時仕事でプログラミングをやっていたので、自宅からも仕事場のコンピュータにアクセスできるようにと音響カップラと簡単な通信ソフトも購入した。この時音響カップラだけで当時 15 万円もしたのである。このようなムダ遣いを許されたのは金食い虫の車を持っていなかったためであろう。ちなみに当時の手取りは 20 万円くらいであった。

 まだ PC-8001 は発売されたばかりでそんなに知名度はなく、パソコン・ショップでは APPLE-II や COMMODORE が幅をきかせていた頃である。シャープからは似たような名前の PC-3000 が発売され、日立のベーシック・マスターや、富士通 FM-8 も出始めていた。その中で PC-8001 を選んだのは日本語(といってもカタカナのことだが)が扱いやすそうだったからである。結果としては私にとってたいへん好運な出発となった。余談になるが、購入先のパソコン・ショップはシステムズ・フォーミュレートという店で、購入後「早く、早く」と支払を催促するものだからおかしいと思っていたら、一月後に倒産してしまった。この 53 万円の一部でも取り返そうと、その年もらったわずかな原稿料の必要経費として確定申告しようと考えたが、計算してみるとかえって税金が多くなってしまうのでやめてしまった。

最初のシステムは記憶装置としてカセット・レコーダを使っていた。今では想像もできない。簡単な BASIC のゲーム・プログラムを読み込むにも数分かかっていたが、それでもゲーム屋にいかずにインベーダー・ゲームを楽しむことができたのでみんな大喜びだった。

 1982 年暮れには念願のフロッピー・ディスク・ドライブ (2D、256 KB である) を購入した。29 万 7400 円であった。プログラムを瞬時に読み込むことができたのには感激したものである。フロッピー・ディスクが当時は一枚 1000 円もした。

 しかしこのディスクの稼働時間は短かった。1983 年には歴史に残る PC-9801 が発売され、ようやく本格的なパソコン時代が幕をあけようとしていた。それまでの PC-8001 は 8 ビット機であったから、漢字処理はほとんど不可能であった。よく知られているように 16 ビット機である 9801 に至って初めてワープロに代表される日本語処理が始まったのである。わが家も熟慮の末、1984 年初めに PC-9801 F2(2DD、2 ドライブ付き)のセットを購入した。カラー・モニターとプリンタ、それにワープロとデータベース・ソフトをつけて 827,800 円であった。

 この歴史的な(?)機械は近く 8 年になる現在でも健在で、なんとこの原稿を書くにもお世話になっている。ただしシステムはすっかり肥大化してしまった。あとからつけくわえたものはまず本体とプリンタの第二水準漢字 ROM(これすら初めはついていなかったのである)に始まり、2HD の外付けディスク、モデム、拡張メモリ(本体には 128 KB しか付いていなかった。そこで 256 KB のものから少しずつ追加し、現在は 4MB の EMS メモリがついている)と進んで、最近内蔵のハード・ディスクも買ってしまった。F2 のような年寄り機械にこのような重装備は気の毒な話である。内蔵ハードディスクといっても F2 では拡張スロットの電源容量が足りないので、外付け電源がみっともなくぶらさがっている。新しいソフトを買っても F2 では動かないことが多くなった。そのたびに製作元に電話でいちゃもんをつけて、修正したソフトに代えてもらっている。80386 の時代に幽霊のような 8086 の機械を使っているユーザが騒ぐのだからソフト屋さんも苦労が多いと思う。しかし何の故障もなく動いているのだからしかたがない。
 この機械はいつリタイヤするのだろうか。ウーム、あと 2 年は働くような気がする。次のシステムは 80486、CD-ROM つき、高精細度の Windows システムにでもなるのだろうか。こんなことを考えるのが最近の楽しみである。

このような昔話をするようになっては私ももうおしまいである。次はきっぷのよいサンド薬品の佐藤京子さんにお願いいたします。